知性と倫理「不正のトライアングル」自己正当化と道徳的解放のメカニズム(接待受けたが後から自己負担分を返したなど)

1.不正のトライアングル(クレッシー)における3つの要素

横領行為について分析理論の「不正のトライアングル」は、横領等の犯罪行為が行われる時に三つの要素に注目した理論である。まず。「動機」である。次に「機会」、それからもう一つは「正当化」ということである。この最後が人の内心と深くかかわっており、なぜに人はやってはいけないことを正当化して反規範的態度をとるのか。

  

この説明の一つとして、バンデューラのあげる「道徳的束縛からの解放メカニズム」がある。

2.道徳的束縛からの解放メカニズム理論の機能

横領を行う客観的な環境として、横領のできる機会を犯罪者は持たないと出来ない。いつまでたってもなくならない「銀行における横領」不祥事も「企業や地方公共団体等の公的組織における横領」も、組織の金をくすねる場と時間という環境を持っているからである。

しかしそれだけでは、金を領得する理由は通常人ではなかろう。アシュラのような守銭奴は別であるが。金がどうしても欲しいという動機が必要である。ギャンブルの場合もあれば、金に怨みのある場合もあろう。いずれにしろ、他人様の金を自分のものにする動機がなくて、逮捕されて刑務所に入るかもしれない犯罪は出来ない。

だが、動機があっても人はそれだけで内心的な葛藤を乗り越えることは出来ないであろう。

通常人の心には、悪いことはしていけないという良心がある。その良心の声が聞こえなくなるには、もっと強い内心的な犯罪合理化的心理が働くはずである。

その説明として、道徳的束縛からの解放メカニズム が一つの説明として参考になろう。

(なお、不正のトライアングルは勿論、この解放理論も全ての犯罪行為に妥当する理論になっていないことに注意すべきである。クレッシーはそんなこと言っていない。怪しげな知ったかぶり知性もどきの論者の意見に騙されないようにしたい。他にも感情的な行動、本能的な行動など自己正当化の辺境は広い。

3.自己の行為を正当化する「言い逃れ」の8種類

彼は、アリストテレスよろしく、「自己を正当化して道徳規範を乗り越えてしまう、捨ててしまう、忘れてしまうことがどうして起こるかというメカニズム」について、下記のように分類した。ボンド理論の分析でも役立つであろう。

(1)「道徳的正当化(moral justification)

自分のやる不正行為には価値があるので社会的に認められるものとする。非情悪行で財産を作った家に侵入して金を盗み貧しいものに分け与える話などにおける実行者の心情はこれに近いものがあろうか。

(2)婉曲なラベル付け(euphemistic labeling)

不正行為を、いかにも正当であるかのように表現する。例えば「違法」・「不正」を「不適切」という若干軽いニュアンスの言葉で言い換える等。コンプライアンス違反なのに、リスク管理ミスの問題と置き換える場合もこれに入ろう。

(3) 都合のよい比較(advantageous comparison)

さらにひどい不正行為と比べて、当該不正行為の影響を軽く見せること。飲酒運転なのに、ケガさせただけで被害者の命まではないとするなどもはいろうか。強盗に比べて自分はコソ泥でそんなに悪くないとするなど。

(4)責任の置き換え(displacement of responsibility)

不正行為の責任を社会や他人のせいにする。新型コロナウイルスCOVID-19の影響で金がなくなったと。これだけ政府の経済政策が悪いから人のものを横領するしかないのだとするなど。

(5)責任の拡散(diffusion of responsibility)

 不正行為の責任を集団や複数の人に求めて自分の責任を薄める。周りが見てみないふりをしたとか、監査が不十分であったなどという場合も入ろうか。誰も仕事をしないから、パワーハラスメントしてでも仕事をさせるしかないと考えるなど。

(6)行為の結果の無視・歪曲(disregarding or distorting the consequences)

 不正行為の結果や帰結を無視したり、歪めて捉えたりする。横領はしたが、金は戻しておいた。接待受けたが後から自己負担分を返したなど。

(7) 被害者の非人間化(dehumanization)

  被害者が人間ではないと考える。社長が一代で財産を作ったのは、さんざん人を苦しめてきた結果であり、その金を横領しても、社長はまともな人間でないから構わないと考える。あるいは公金の一部流用では、実質的には誰にも迷惑を掛けていないと考える場合もあろうか。

(8)責任の帰属(attribution of blame) 

 自分の意に反して強制され、自分はむしろ被害者であると考えること。被害者意識の強い方はしばしばこのような心情に陥る。暴力団のボスに命令されて自分が人に怪我をさせた、脅迫して金を取ったと言うのであれば自分はむしろ被害者であるからケガさせてもやむを得ないとする。

以上のような、道徳的な規範を乗り越えてしまったり忘れてしまったり、無視するということの道徳的束縛からの解放メカニズムは不正のトライアングルの正当化の補足として、管理職が部下の言動分析などする際の参考になろう

Follow me!