1.「日本型」ミウチ経営は、身内の結束力・閉鎖性が強かった

これまでの、日本型経営では、企業は村社会の中の「ウチ」であり、内における不祥事は家族の不祥事と同じく外に公表しないのが当たり前とされた。

もともと、子供の違法行為を外に向かって公表したがる親はいない。それはそれで、道理に適っていたことは否定できない。

 2.身内意識の減少が進んだ現代の組織とコンプライアンス

しかし、これは、今日の企業文化の中では崩壊してきている。

ウチではないのである、会社は。

給与をもらうところに過ぎないと考えるものが多い。

また、終身雇用は崩壊し、年功序列型賃金と人事も崩壊し、能力主義の時代の雇用現場にすっかり変わってしまった。

派遣やアルバイトも増えて、違法行為は漏れやすいのである。

なぜかというと、身内意識の低いところで、何を庇うのか。庇う必要があるのか。ないだろう。コンプライアンス違反はコンプライアンス違反である。取り繕う必要はない。

3.コンプライアンス違反行為は組織だけでなく所属職員も信用を失う。

また、人と人との規範の慣習・風習等が消えた都市生活では、アメリカのように法が規範となる。

そのような社会では、国民は、自分も法を守るが、会社も守って当たり前と考えて全くおかしくない。

昨今においても人の生命や身体に重大な影響を与える製品や食品分野で、組織で違法行為が行われたことに起因して、企業活動を大幅に制限される会社が増えた。

これらはその原因が、コンプライアンス態勢整備がなされていないからである。

4.コンプライアンス違反行為をした職員を庇わない時代

コンプライアンス違反行為は、かつては会社のためにしたということであれば、会社も救済した。

しかし、談合職員をそのまま雇ってくれるであろうか。会社の売り上げのために、既定のデータに「ウソ」を書いた職員を庇ってくれるであろうか。

或いは、仕事をもっとさせようとパワーハラスメントやセクシュアルハラスメントをした職員をそのまま雇ってくれるであろうか。

5.日本の経営者のコンプライアンス意識の低さ

これは、日本の経営者のコンプライアンス意識の低いことに主因がある。

いまだに、コンプライアンスとは何かがわかっていない経営者がいる。

コンプライアンスがCOSOでどう位置づけられるか分かっていない。

いまだに、コンプライアンスを手段と考えているアナクロニズムがいる。

コンプライアンス経営をしないと企業活動の停止に追い込まれ、企業生命が失われる時代である。

これを、考えない経営者は、現代では経営者として不適であると言わざるを得ない。